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元米国住友商事シニアバイスプレジデント  加納恭夫さん

次代を担う子どもたちへ Vol.3

元米国住友商事シニアバイスプレジデント 加納恭夫さん

私は現在65歳でいわゆる団塊の最後のほうの世代に属しています。
52歳まで大手商社に勤務し、駐在地のシアトルで49歳の時に妻を亡くし、茫然自失中で新たなる人生を見出すべく52歳で再婚する中で会社を離職し、IPO後のIT会社の社長、ヴェンチャー企業の社長、先輩の会社である中堅鉄鋼商社のインドでの独立法人の立ち上げ等を行い波乱万丈の人生を送っています。

大手商社時代は、中近東に長期に出張、台湾に5年駐在、アメリカに6年駐在し、65か国の国々を訪れたことがあります。また、その後先輩の会社の中堅鉄鋼商社のインドの独立法人を設立するためインドに二年駐在し今日に至っています。

かかる人生を通して経験したことと、我々の世代がそれこそ汗と涙そして愛をこめて今日の日本を築き上げてきたことを次の世代につなぎたいとの思いで現在も頑張っています。

今の日本をかかる経験から見るに、きわめて残念な状態であると言わざるを得ません。
私の造語ですが“MBA的発想”が日本をダメにしていると思います。
リターンオブインヴェストメント(ROI)が目標に達成するか否かをチェックし、従業員を引っ張っていくマネージメントが多くなり、新しい仕事を生み出すプロセスそしてその背景(競争力の源泉等)の分析を理解しないまま結果論的に判断していくように見受けられます。私はそれをMBA的発想と呼んでいます。

40年前に実際に経験したお話をしましょう。この話は、旺盛な問題意識を持って物事を拾い出し、幾多の雑音をはねのけ信じる道を切り開いた一つの例となります。
(これが汗と涙と愛という表現につながります)

40年前サウジアラビアのジェッダの袋物セメントのお客さんを訪問し港で荷揚げの現実を見ました。当時石油ショックで、急にお金のできたサウジアラビアが世界中からいろんなものを購入した結果、ジェッダ港は船が岸壁に接岸するのに100日間沖で待たねばならない状況でした。

いわゆる船をチャーターし満船でバルク荷を運ぶといった商いは、かかる100日の船のチャーター料(滞船料―デマレイジ)をお客さんが支払わねばならない状況でした。
滞船料が高くつくので、ヘリコプターが沖の滞船している船まで飛び、大きな網に袋物セメント20袋(50kgx20=1MT)をつめ、小さな漁港の港に荷揚げしていました。
お客さんは滞船料を払うよりヘリコプターによる荷揚げのほうが安く上がるとの説明でした。この状態を見て若いながらもいろいろ考え次のようなアイデアを導き出しました。

・沖で滞船を余儀なくされる船の大きさは2万トンー4万トン
・この船に袋に入ったセメントではなくバラセメント(粉体)を日本で積み、この沖まで運んでくる
・沖にエンジンを外した5-6万トンの船を停泊させ、サイロ(貯蔵庫)として使い運んできた船からこのサイロ船(フローティングサイロ)に荷揚げをし、小さい船に積み替え小さな岸壁に持っていく。

日本に帰ってこのアイデアを実現するためまず船積みをするセメントメーカーそしてそのバラセメントを輸送する船会社にあたって一緒に新しい方法を作り出そうとの話をしました。上司、メーカー、船会社から以下の意見が出て実現が危ぶまれました。

・バラセメントは専用船やトラックのタンクと貯蔵庫のタンクをパイプで接続し空気圧送するものであり、普通のバラ荷物と違って積み込みもできないし、クレーンで荷揚げもできない。常識から外れたかかるコンセプトは実現不可能である。

こうした意見を聞いたうえでも必ずやって見せるとの気持ちで船会社、メーカーと話を続け日本の最大手の船会社が実験を行ってくれることになりました。また、メーカーもベルトコンベヤーでバラセメントを船のハッチまで持ってきて二つ穴をあけ一つの穴に落とし込みもう一つの穴から粉塵を吸収するとの案が出てきてそれでやってみようとの話になりました。

まさに汗と涙の結果とその中に何としてもセメント産業への貢献とサウジアラビアに対する貢献をしたいという深い愛があって生まれたものと言えます。

この方式が全セメントメーカーに採用され、今まで全セメントメーカーが年間200万トンしか輸出できなかったものが年間1500万トン輸出することができるようになりました(袋ものセメントでは人手を使って積み込むので時間がかかっていたがベルトコンベヤーで粉体を積み込むことによってスピードが圧倒的に早くなったということから生まれたもの)

若干25歳の青年が汗と涙を流し関係者を説得しそしてその若者の頑張りを上の世代が取り上げみんなのチカラで実現できたと言えましょう。何か深い愛を感じませんか。

もう一つ実例を挙げましょう。
台湾時代に日本の衣服メーカーから委託を受けて台湾の縫製メーカーに下請けをお願いしていました。

100枚生産をした結果規格にはずれた製品が7-8%出てきました。
日本ではかかる規格にはずれた製品は跳ね品として製品群から隔離して処理することになります。台湾ではかかる跳ね品が出たことを認めると個人の責任となり彼らの言うメイヨウメンツ(面子を失う)となります。皆でそれをかばいあい跳ね品を区別することはしていなかったといえます。

はね品を隔離することが正規品の品質の良さを保全することになり跳ね品を作ったことを責めるのではないということを納得させるのに1年の時間を要しました。
先日バングラディッシュのダッカ空港で飛行機を待っていたとき30人余りの中国人がいました。その中で聞き覚えのある台湾なまりの中国語をしゃべる台湾人が二人いました。

どうしてここにいるのですかと質問したら、今の中国の会社では縫製品のはね品を管理することが難しく、もともとの元請であった台湾の会社にその管理の教育をお願いしているとのことでした。
我々が汗を流して台湾人にお願いしていたことを今やその台湾の人がバングラディッシュでその教育を行っていることを知り何とも言えない感慨を覚えました。

こうした実例が示す通り、各分野において我々の世代は問題意識を常に持ちながら汗を流し新しい仕組みを作ってきたと言えましょう。そして今やアジアの諸国にも伝搬しているわけです。

若い世代の人たちにこうした先輩の行ってきたこと、そして日本の良さを改めて勉強していただきたいと思います。ただマニュアル通りにフォローしたり結果論を分析し人のせいにするのではなく、物事の本質を見極める問題意識を常に持ち、自分で考え、物事を作り出すといったあり方を引き継いでいただきたいと思います。

以上