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子どもと学校 (岩波新書)

河合 隼雄 (著)

子どもと学校 (岩波新書)

 

学校は子ども達にとってどのような場所なのでしょうか。私は河合隼雄先生の「子どもと学校」を読んで、子どもへの教育の姿勢や不登校児への考え方など臨床心理家ならではの視点を知るいい機会になったので、少しでも皆さんに知っていただきたいと思います。

 

|罰を与えた|責めるだけでは本当の意味での教育とは言えない

子どもを取り巻く問題はいじめや不登校、校内暴力や子どもの心身症など数えればきりがありません。子ども達が抱え込み表出された問題はわれわれ大人への「問題提起」であり私達はその問題に真摯に向き合わなければなりません。口で言うのは簡単ですが、私達は悪い行いをした子を非難するのにも関わらず、その子の抱える「問題」を解決しようというところまで到らないのではないのでしょうか。罰を与えたり責めるだけでは本当の意味での教育とは言えないのです。

 

|教育の2つの原理「父性原理」「母性原理」、 そしえ教育に求められるものは?

教育に焦点をあてると、教育することの難しさがわかります。教育には2つの原理があります。父性原理と母性原理というもので、簡単に説明すると父性原理は「切る」機能を持ち、母性原理は「包む」機能を持っています。日本は母性原理の方が強いようで、絶対的な平等感を求めてしまうそうです。これにより自己主張を強くしたりせずにその場に合わせることに重きを置いてしまいます。これは悪いことではないのですが、一長一短であり個性の強い子はこの原理の中では生きづらさを感じてしまうのかもしれません。

ではどんな教育が親や教師に求められるのでしょうか。知識を詰め込むだけの一方的な教育では子どもたちの個性は潰れてしまいます。では自由放任にすればいいか、と言うとそうではありません。「子どもの自由」を尊重するのはよいことです。ですが、その責任を回避してしまうと破局的なことになってしまいます。子どもが育つためにはその傍でちゃんと「見守る」大人が必要なのです。

 

|不登校の実情

さまざまな問題がある中、学校へ行かない子どもの増加は社会的問題です。学校に行かない要因として、家庭的に恵まれず、非行化して学校に行くのを拒否したり、怠けてしまう子どもや、精神病の発症などが挙げられます。では不登校の子どもをどうやって登校できるようにするのか、これはとても難しい問題で、一定の方法があるわけでもありません。それぞれの子どもに個性があり、「他と異なる人間としての私」を見て欲しいという主張でもあるのです。

経済的な問題以外にも不登校児の中には学校に行きたくても行けない子もいるようで、その理由としては先生が怖いとか、成績がよくないとか、友人とうまくいかないとか、いろいろな理由を言うが、実は本人も本当の理由がわかっていないことが大半だそうです。河合先生はこの本の中で不登校の理解について次のように述べています。「人間にとって子どもが大人になるになるということは、なかなかのことである。毛虫が蝶になる中間にさなぎになる必要があるように、人間にもある程度こもる時期が必要なのである。」さなぎの状態と聞くと放っておいたらいつか出てくるのかと思う人もいるでしょうが、そうではなく卵が孵化する時のように適当な温度や条件が必要なのです。その子を尊重して見守る暖かさが求められるということなのです。

 

|見守ることの大切さ

私の経験としては、児童養護施設でのボランティアや学童保育などで子どもたちと触れ合う中で、見守ることの大切さは実感しています。上手にできた時、何かに挑戦する時、やってはいけないと知っていながらも悪い行いをする時など、これらは「自分を見て欲しい」という欲求の現れであるように感じます。その時にちゃんと応えてあげられると子どもは安心感を得ることができ、自分の成長にエネルギーを使うことができるのではないのでしょうか。どんなに焦って教育しても一方的な教育では子どもは置き去りになってしまいます。私達大人は子どもが育つのを少し後ろから暖かく見守るぐらいが丁度いいのかもしれません。教えるのは大人でも育つのは子ども自身なのですから。

 

(2016.12.22 学生インターン 矢谷秀一)